カランコエと月
カランコエを買った。
以前何かのドラマで見かけた。多肉感がありながら、淡い色の小さな花のその愛らしさはどうも私の胸に残り続けていた。ちょうど通りかかった花屋でその薄紅色の花を咲かせるそれを見つけて、手に取り代金を払った。
家に持ち帰って大きな鉢に植え替えた。ちょうど捨てるつもりでベランダに出したワゴンがあったのでそれの上に座らせると、ちょうど座った時の私の視点と同じ高さになりいい塩梅であった。日付が変わるころ、カーテンの隙間からのぞかせる表情は月に照らされ、美しい。昼の太陽に照らされた、しゃんとした表情とは趣の異なる憂鬱そうなその様は、かつての恋人の物悲し気な後ろ姿を私に喚起させた。なぜ彼女のそういうさまを見ることになったのかは覚えていない。忘れっぽくてあまりこだわりのない私の性ではあるが、そんなことを思い出した秋の夜だった。
かつて太宰は「富士には月見草がよく似合ふ」といったが、秋の半分に欠けた月には加藍菜がよく似合う。